何万分の1の星になる

ジャニーズ話の雑記帳

2代目ジャニオタの育て方、的な

お題「ジャニヲタになったきっかけ」

 

小さい頃からTVが隣にあった。

今の実家がある地域に引っ越す前に関東に住んでいたのだけれど、その時は小さくて狭い和室に家族3人川の字で寝ていた。母親がコンビニのパートに出ているから帰りが遅かったり、父親が夜更かししてたりと、寝るときもTVがついてるなんて日常茶飯事だった。*1*2

そんないつも仕事を頑張る母親が昔っから好きで、父親が嫌い*3なものがジャニーズだった。

母は私が小さい頃からSMAPのファンだった。まだアナログ放送の時代、ブラウン管にうつるSMAP夜空ノムコウの発売当時、私はまだ保育園児だったけれどなんとなくスマスマでの歌披露を覚えている。幼心にもごろちゃんが好きで、しんごママ(これは多分小学生の頃)の真似をし歌い踊る、そんな子ども時代。保育園の出し物にはKinKiKindsの「フラワー」が使われていたし、小学生の時には「ロシナンテの災難」をみた影響で「僕の背中には羽根がある」をお昼の放送にリクエストしたこともある(そして校内に流れた。嬉しかったなあ)。

そういうわけで、私とジャニーズとの出会いは比較的早い時期に起き、また彼らに嫌悪感を抱くことなく、時間はすぎていった。ジャニオタではなかったけれど、そうなる土壌は幼少期から耕されていたのだと思う。ありがとうお母さん。

実を言うと、転校した小学校3年生から中学校2年生までの間、私の家にはテレビがなかった。いや、あったのだけれど、正確に言うと、BSしか映らない状況だった。朝ごはんも夕ご飯もBSニュースが私のお供。だからみんな大好きイケメンパラダイスや、トリビアの泉はリアタイできなくて、実家から徒歩3分、200mの距離にある祖父母の家で録画したものを次の日に見る生活を5年以上続けていた。ので、もちろん、自分から欲しない限り、ジャニーズをみることもなくなっていっていた。(この状態は2年生の冬、我が家の地デジ化により解消される)

中学2年の時にいろいろあって、中学3年生の冬。田舎の高校受験なんて倍率1倍という緊張感のないもので、しっかり勉強しつつも息抜きする日々が続いていた。

そんな時母親に「○○ももう高校生でしょ?好きなTVの俳優さんとかアイドルとかいないの?」ときかれた。私はいままでMステすらみないような、現代中学生とは思えないTVライフをすごしてきていたから、その質問にすぐには答えられなかった。その頃から意識的にTV番組だけではなくてCMなどにでている人・曲を見聞きするようにした。

嵐とであったのはその”CM”だった。

2008年は嵐にとって躍進的な年で、この時期に嵐ファンになった人は「OneLove」か「Truth」で堕ちてるイメージがあるのだけれど、私にとっては魔王旋風もすぎたあとの「BeautifulDays*4」のカップリング―僕が僕のすべて―がジャニオタになる決定打だった。印象的なのは櫻井くんと相葉ちゃんのCMで、これがそのまま嵐の担当になっていった。CMのコンセプトだけでなくて、使われていた曲のサビが、中学2年でいろいろあった自分にとっては染み入ってくるものばかりで、私は数日後に地元の小さなCD屋さんで通常盤を買っていた。私が初めて買ったジャニーズのCDである。

*5

実をいうと、母親は先見の明があったのかしらないが「嵐の宿題くん」を毎回録画してくれていて、櫻井くんの伝説のメイド服姿の回を私はみたことがあったらしい*6。本当に、意図的なのかもしれないけれど、ジャニーズを定期的に与え続けてくれて、かつSMAPファンであるためにFC入会に寛容だった母親には感謝しかありません。今は仲良く親子でオタクやってます。

目指せ3世代ジャニオタ。(笑

*1:今思えば安眠を阻害されてるのに、こうやってちゃんと(?)育ったの奇跡だと思う

*2:親の名誉のために言いますが、両親共に自慢できる人です

*3:嫌いな理由をきくとなるほどな~と思う(くだらないと思っているらしい)し、TV消すとか雑誌勝手に捨てるとかじゃなくてグチグチ文句いったり母親のことを楽しそうにいじったりとかそんなかんじ。正直めんどくさいけど、もう慣れた。FC入会できてて、Skype

こんな会話

してくれるだけ恵まれてる

*4:流星の絆、すばらしかったです。見てました。

*5:通常盤を聴こうとすると、妙にトラック6の収録時間が長いことに気づく。それが、「コムタンスープ、ちっちゃめで。」で有名な嵐のシークレットトークで、私をジャニーズの沼に完全に引き摺りこんでいった

*6:今は焦土と化したブログにそのような記事が残っている