何万分の1の星になる

ジャニーズ話の雑記帳

選択と、コントラストと割合と【映画「ピンクとグレー」感想】

あけましておめでとうございます。カウントダウンの感想とか、楽曲大賞とか、Askの回答とかいろいろ記事はたまっているのですが、これは書いておかないと思いが薄れてしまいそうだったので、新年一発目の記事は映画「ピンクとグレー」の感想にします。これでも私さっきまで卒論書いてたんだよ?w

がっつりネタバレのつもりはないし、文量もそれほどないんだけど、物語の根幹に触れてしまうことばかりなので、映画を鑑賞した方だけ読むのが望ましいです。

一つ言うと、物事をそのまま受けとめて考えすぎてしまうきらいのある人、ジェンダー論うけてる学生さんとかは、この映画を見るとき気をつけたほうがいいかもなあって思いました。疲労感とか嫌悪感が増幅しそうだから。

 

 

いい?

ほんなら行くよ~。

 

 

原作を読んだとき、りばちゃんはごっちを演じる中で首をつる(ふりをする)。ただ、その後彼がどうなったのか…生き続けたのか、そのときトランスして死んだのか。その後の人生は幸せだったのか転落人生だったのか…。そこまでは描かれていませんでした。ただ、私は確かに「その後」が気になっていた。正直なところ、ね。

しかし、監督や脚本家の選択した「遺書」と、私が映画の中のりばちゃんに選択することを望んでいた「遺書」。それはどうやら違っていたらしい。そのためにりばちゃんはあのようなストーリーを生き、私はモヤモヤを抱えることになったのだと思います。

選んだ「遺書」が違うからピンクとグレーのコントラストのつよさも、またその割合も違っていた…。そういうことなんだろうな。

原作よりもピンク(ごっち)とグレー(りばちゃん)のコントラストは強烈で、りばちゃんのダメダメっぷりはすごい。

私が個人的に汚い性描写苦手ってのもあるけど、レイプ未遂におっパブいって、あげく彼女いるのに他の女と致すって相当クソ男じゃねえか。てか乳首でるなんて聞いてないよ!!!濡れ場も含めよくR指定にならなかったね…(汚い言葉でごめんなさい)

…オホン。最後の方で成瀬があれ(前半のだめだめごっち)を演じていたとわかると、「まじでふざけてんなwww」って思う。そのくらいりばちゃんがごっちに描いていたピンクの世界、幻想のうちのひとつは、虚構で茶番で「しょーもない」ものだったんだろう。鈴木真吾を知らない、白木蓮吾しか知らない人たちにとっては。

 

最近アイドルの皮と中身について考えることがあって、私の大好きな人たちの皮は、大好きな人たちの中身がすごく嫌っている外側なのかもしれないな、って思ったんです。それを思い出して、私は勝手に落ち込んだ。愛するのも応援するのもこわいな、と。応援することが、大好きな人の首を絞めることにつながっていたらどうしよう、と。映画見終わって帰り道、「ヲタクやめたい…」って思ったし。やめないけど。

 

 本当は、この映画の中で、りばちゃんが描いたごっちの物語の中ではたくさん命が消えていて、しょーもなくなんてないのにね。そういう意味で、あの打ち上げにいられなかった人…本物のサリーはこっちサイドなんだなあと思い知らされる。だって芸能界だって儲けなきゃいけなくて、そのためならどんな話でも食い物にするもんね。

本物のサリーが一番白い。白が一般市民の、かつ表裏のない人間がもつ色だとするならば、芸能界の人たちは、どんな色であれ自分に塗りつけた色があまりにも濃すぎたのだと思う。淡水魚は海水じゃ生きられない。逆も然り。あの打ち上げのシーンはそういうシーンだったのかも。

(あと、最初のシーンの話でどうしてもいいたいことがあって。あの強烈なフラッシュの海のシーン。あそこでりばちゃん或いはサリーと、鑑賞する側の私達が見えている世界を共有できていて、演出としてはすごくいいな、と思いました。ただ私はあのチカチカがダメだからしんどかった。PCメガネかけてしばらく下向いてた。ポリゴンショック*1の二の舞になりやしないかと不安になったレベル。これまだ見てない人に言いたいんだけどダメかな?光刺激ダメな人って一定数いるじゃん…?)

 

ピンクをりばちゃんが知る範囲のごっちの物語、グレーを、りばちゃんが知らないごっちの物語と解釈した場合でも、原作では1:1かピンクのほうが多いくらいなのに、映画では逆転していた気がします。時間的にはピンクの部分が数分多いはずなのに、とにかく後半が重たく感じた。そしてその重さは私には受けとめがたい鉛だった。

 

最後に世界に色が戻って、Right nowが流れ出して。そこでやっと心が30%くらい浮上した。それでも私はこの世界を引き摺った。まあ、曖昧な色の映画なのだから、鑑賞直後はモヤモヤしていても正解なんだと思うことにした。学生や会社員の帰宅時間にかちあった満員電車に押し込められたり、帰り道に近所のコンビニでHey! Say! JUMPが表紙の週刊少年サンデーを立ち読みしたり、友達と会話をしたり。そうすることでやっとこちらの世界に戻ってこれたような気さえする。本当に体力を使う映画だった。だから、主題歌はRight nowで大正解だった。あの曲じゃなかったら私はこちらに戻ってこれなかったし、仮にアイドルが…NEWSやJUMPが主題歌を歌ってたら「しょーもな」さに拍車がかかっていただろうから。

 

映画を見る前、私は、グラスホッパーやピンクとグレーを渋谷で見ることができた人をうらやましいなあと思っていました。けれど、自分が映画の世界を振り払うのが苦手だと知った今、こういうタイプの人間にとっては、あの土地での鑑賞はしんどさに輪をかける行動になるかもしれないな、と思いました。だって、あいまいな世界の舞台に自分をあえて放り込む行為じゃないですか。それって結構危険ですよね。

あの映画を見た私達に求められていることは、濃さや彩度に関係なく、自分の色を持って生きることではないのでしょうか。そう考えさせてくれるきっかけにするために私は映画を見た、その対価として金銭を払ったのだと思っています。役者の演技がぶつかりあい、生命力がはじけた映画だったからこそ、虚無感のなかでも自分を奮い立たせる隙間が残っていた、と。

 

ただ、119分のうち62分を原作に従って、残り57分をあのようにすべきだったかと問われたら、私は肯定することが出来ない。それなら、サリーと二人の関係や香凛との関係、デュポンの背景や透明な魚の話を もうすこし時間使って描いても良かったと思う。「その後」にも影響する大切な要素があまりにも抜けてしまっていて、キャラクター同士の関係性がゆがんでしまったような気がするから。だから、正直なところ、原作のほうが好きです。

とはいえ、こうやって書いてきたけれど、中島裕翔の初主演映画が「ピンクとグレー」でよかったと、私は思います。

なぜなら彼はもう曖昧な色の人ではないから。

周りの演者さんも、強烈な色をすでに持っていて、演技の生命力にただただ圧倒させられました。特に菅田くんと夏帆ちゃん。二人には騙されたし、二人のおかげで救いようがなくなった。二人のせいで私は見ていて苦しくなりました。でもあの3人だったからよかったのです。

ゆうとくんと菅田くんの仲が良いことが、この映画がいいものになるための条件だ、という意味合いの発言を監督はしていたけれど、すだゆとの仲がいいことも、夏帆ちゃんとゆうとくんの姉弟のような関係性も、どちらもちゃんとワイドショーやバラエティーの宣伝露出で垣間見ることが出来たお陰で、映画を観た人が救われていると思います。少なくとも、私は。

最後に。映画を観た方で、原作を読んでいらっしゃらない方がいれば、是非、原作を読んでください。それが映画のためだし、原作のためだと思います。

以上雑感にはなりますが、あの映画を見て感じたことを記しておきます。

本年も本ブログ及びブログの執筆者であるわたくしを、よろしくお願いいたします。