何万分の1の星になる

ジャニーズ話の雑記帳

置かれた場所で堂々と咲こう=「失敗」を振り切ることができた私が思うこと=

4年間で変わったこと、変わらないこと」

意外とはてなブログって若いサービスなんですね。小学生にもなりきらない年とは、ちょっとびっくり。

さて、私の変わったことはヲタクごとで二つ、自分自身のことで1つ。

ヲタクごとひとつめは、ブログとTwitterを見ればお分かりかと思いますが、Hey! Say! JUMPのファンになり、人生初の担降りをしたこと。ふたつめは、時流にのっかるかたちでブログをまた書き始めたこと。 

そして、自分自身大きく変わったこと。今回の記事のボリュームゾーンです。

「図太くなった」もっと言うと「大学受験の失敗を振り切ることができた」これです。

yuka1486.hatenablog.com

おかゆさんが受験生の頃の一日をまとめていて、自分には失敗談しかかけないけど、そこからわかる「こうしたほうがいい」ならお話できるし、逆にそれが処方箋になればなと思って、この投稿をすることにしました。(効率の良い勉強の仕方とかを見たい人はおかゆさんの記事を是非。タイムマネジメント上手。)

以下の文章、やたら長い。読みにくいと思うのではじめに言っておきます。ごめんなさいwww

まず私の大学受験がどの程度失敗だったかと言うと、

・本当は東京の私立大にいきたかったのに言い出せず、親の希望で国立を受験(一応5教科とも苦手ではなかった)。滑り止めも名古屋・関西を多く受験。

・評定平均が良好だったにも関わらず意地を張って推薦入試を受けなかった(一般受験こそ正義みたいな風潮あるじゃないですか…)。

・いくつか受けた受験校すべりまくり、何とか1つ今の大学に引っかかる*1

こんな感じでまあズタボロである。でも今私は楽しい毎日を送ることができている。そこに至るまでの話をしようと思う。

 

ただ、私がこうやって文字にできる(自分に自信を持てる)状況って本当に運がよかったからだと思うし、親にもすごく迷惑かけたから、最初にいま高校生・受験生の子達に言っておきたい。

1.これから大学を受ける人へ

第一志望で受かるのがいいに決まってるし、受験校のレベルは下げないほうがいい。下げると自分の甘えになって、またズルズルとレベル下げちゃうから。

あと、一般的ないい子や真面目な子、定期テストの点数がいい子がポンポン受かるとも限らない。受験勉強は、量をこなすことももちろん大事だけど、それ以上に質とセンスがものをいう。だって時間がないから。だから、不要なものを切り捨てる面を持ち合わせたほうがいい。ちゃんと全部やろうとすると自分で自分の首を絞める。私は受験に使わない教科のテスト勉強もちゃんとして、評定は維持したけど結局推薦入試は受けなかった。もったいないことしたなあと思う。学校や担任の方針で国立じゃないとだめだとか、一般入試こそ正義みたいな考え方あるけど、そんなの気にせずに自分の好きなところ受けたほうがよっぽどやる気おきるよ。自分のことだから周りに流されないほうがいい。

悲しいことに受験と言う制度は、ある一定層以外の大多数の人間に「楽しく学ぶ」ことではなく「限られた時間の中で効率よく結果にコミットできる勉強をする」ことを強いるので、もともと勉強が苦ではなかった生徒が伸び悩んだときには精神的なダメージがでかいです。「この教科はいらない」といって他の授業を真面目に受けないクラスメイトがぐんぐん模試の成績伸びるの、見ててすごく悔しかったんですよ。ちゃんと自分は報われる、だって今まで評定やテストの点数がそれを示してくれてたから。そんなこと心の片隅で思ってても、報われませんよって地の底にたたきつけられる。今思えば驕っていたんだけど。「私のほうが真面目なのにどうして?」って思ったって後の祭り。感情とか性格じゃなくて、努力にくわえて効率と正確さをあっちは求めてるから、自分効率悪いな、バカ真面目だなって自覚のある子は気をつけてね。

そして何より受験、勉強に関わるお金、大学のお金を出すのは基本的に親なので、親には「有能なサポーター」になってもらったほうが得です。そのほうが精神的にも楽。もしも過保護だったり、受験大学でもめている子がいたら、早めに解決してください。私は金銭的な面では母親ともめたし、父親(重要:別に文章の専門家でもなんでもない)からの文章の指導を(学校で小論文の指導受けてるのに)家でも受けて(もちろん先生と方針が違う)、休みもとれないし延々と話され続けて最終的に精神が参ってしまいました(このころの本アカのツイートみるとかなりキテる)。楽しいはずの勉強が楽しくなくなったり、絶対にやらねばならないことがつらくてつらくて向き合うのも嫌になってしまうのは本当にもったいない。私の親は高2まで勉強のこと何にも干渉してこなかったのに、受験期になってこれだったので、「今は大丈夫」な子も一応ね。余計な悩みの種はなくしておいたほうが良いよ。高校の先生も、「親と真剣に話ができるチャンスは3回。受験と、就職と、結婚のときくらいだ」って言ってました。だからちゃんと、親と向き合おうね。

 

さて、今から書く文章を読んでほしいのは、受験生や浪人生ではなく、はたまた第一志望には落ちたけど今満足に大学生活を送ることができている人でもありません。

いろいろあって第一志望以外の大学に入ることが決まった学生さんや、第一志望以外に入学して、まだモヤモヤしている学生さんの参考になればと思います。

 

2.何が嫌なのかはっきりさせる。環境を嘆く前に自分を変える。

 大抵が学歴コンプレックスだと思うし、人によっては後ろのほうのうるさい学生を見ながら「なんであんなやつと一緒の大学なんだ」と思っている、と思う。これ3年半前の私なんだけど(笑)

というか、このこじらせてるタイプの場合はまず自分自身とちゃんと向き合ったほうが良い。この向き合う作業って吐きたくなるほどしんどいけど(だって頑張ってたはずの自分を否定する作業に思えるから)、乗り越えると視座が開けた感覚になるので気分がいいです。

私の場合は、今も住んでいる大学寮で出会った友達が、私の鼻をへし折ってくれて、「自分が何も変わろうとしていないこと」に気づかせてくれたことが大きかったです。環境を変えたいって言うだけじゃなくて、まずは自分が変わらないといけない。だって、試験を受けたのも今の選択をしたのも、確かに周囲からいろいろ言われたことに影響されてる部分はあると思うけど、最終決定は自分が行ったことなのだから。自分の選択には責任を持って対処しないとね。ベタだけど、過去は変えられないんですよ。それは紛れもない事実。だからこれからを考えたほうがよっぽど生産性がある。

学歴コンプレックスなら荒治療だけど学校名かえるのが手っ取り早い。仮面浪人、編入学、他大学院進学。ただ仮面と編入は大学の単位落とすリスクある=失敗したときが怖い。大学院進学も文系はあまりメジャーじゃないし、何より「研究」する気のない人が進む道じゃないと思う。文系院卒の就職活動はしんどいって言うし。

ゴールが大学の名前じゃない人は、さっさと頭を切り替えてそこに到達するために必要な武器を揃えたほうが良い。それは語学力をつけることかもしれないし、別の資格を取ることかもしれないし、成績優秀者になることかもしれないし、自分で団体を立ち上げることかもしれない。アルバイトを懸命にしたことでスタッフさんから認められることかもしれないし、サークルや部活で結果を残すことかもしれない。何かを捨てて何かを得るのは怖いけれど面白く価値があること。確かに行きたかった大学のほうが為そうとしていることを「やりやすかった」かもしれないし、「ゴールに到達しやすかった」かもしれない。でも今、現状は此処なんですよ。それは受け入れてあげないと、過去の自分がかわいそうです。そして、欲しい肩書きは自分で動いて、自分で作っていくものです。

私は最初こそ大学の名前を変えることを考えましたが、心の中に「今を楽しく過ごしたい」と思う自分もいると途中で気づいたことや、友人たちが真剣に私の悪い部分を指摘してくれたことで、「今いる場所でできる限りのことをやってやろう」「無理かどうか決めるのは自分だしそもそもやってみないとわからんだろう」、という考え方に変わっていきました。

「失敗」したと言う意識が自分の中にあると、自分のせいだあいつのせいだ、この状況を変えたい!って思いで大学最初の楽しい1年を無駄にしてしまうので、悔いの残る受験は後々の時間の浪費に響くんですよ。そのウダウダ考えてる時間に別の行動をとれば、素晴らしい出会いがあるかもしれない。もしかしたら自分で機会を逃しているのかも。そう思うと、悩んでるだけで何も動いていない自分が情けなくなってきませんか。

 

nf-arsxhsj.hatenablog.com

就職活動については別エントリでざっくり書いてますが、豆腐メンタルの私がこんなにどっしり構えて就活できたのも、大学生活でできるだけのことをした、それが自信になっていたからだと思う。

受験で失敗した人の強みをあげるとすれば、失敗するときの空気の流れが第六感でわかること、失敗の条件を知っていることです。だから、受験と他の事はイコールにはならないにしても、似たような状況に陥ったら回避するようにすれば良いんです。

具体的に私の例を上げるなら、就職活動のとき私は親への報告を全て事後に行いました。交通費だけせびって内定もらったらそのことだけ伝える、というなかなかに親不孝な方法でしたが、変なプレッシャーを感じることなくできたので大変良かった*2。期待なんてしちゃいけないっていうどこか冷めた気持ちが心の片隅にあると、こういう人生の節目でも冷静にいられるなあと思います(笑)

 

さいごに

 「おかれた場所で咲きなさい」と言う言葉があります。

私はこの言葉を聴いたとき、現状に甘えている感じがして、ほのかな諦めを感じて、あまり納得がいきませんでした。でも今は少し、言葉の意味を理解できる気がします。

おかれた場所で咲く努力をすることで、その場所の中では最も目立つ花になる。秀でて見える。それは、自分が望んでいた、あるいは思いもしなかったプラスの展開を招くきっかけになる。

…そういうことなのかなって思います。もっとも、しんどい道であることには変わりありませんが。人生の正解なんで、数年切り取っただけじゃわかりゃしないし、上手くいく公式なんて存在しない。難しい。だから考えようによってどうとでもなると信じてる。

見た目が「失敗」でも、後から振り返ったら違うものが見えてくる。そういうこともある。

私が「今の大学に4年間いると決めたことが”正しかったかどうか”」、この正解がでたのは3年半たってからでした。最近になってやっと、高3の自分も、親も許すことができました。編入とか言い出したときはいろいろあって親を離婚の危機に陥らせたし、なんでこんなことになったんだろうって毎日めちゃくちゃ厳しいといわれる寮で暮らすのもつらかったけれど、良い友人に恵まれたこと、面白いと思える学問に出会えたこと、視野を広げてくれる先生や大人に出会えたこと…これらがなかったらこんなにも現状を肯定できていません。私は本当に人との出会いに恵まれていると、運がいいと思います。

 なんにせよ、目の前のことに全力を尽くしましょう。それが出来ない人の前には、次の扉さえ現れてくれない。

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おっと、私自身の「変わらないこと」を書いていませんでした。

冷静に、とか、切り捨てる覚悟を、とか散々書きましたけど、自分の根本的な部分は全く変わっていないと思います。私の考え方や生き方のベースとなっているものですね。親や地元、友人。大学で地元を出て、多くの時間をふるさとで過ごせなくなったことで、逆にすばらしさや尊さに気づくことができました。客観視したり冷静な判断が出来るようになることは自分らしさを失うことではないのでそこまで怖がらなくてもよろしい。*3

なんにせよ、目の前のことにバカ正直にぶつかるので、「生きづらい」タイプかとは思いますが、そういう性分なのだと思って、今後も上手く付き合っていけるようにしたいです。

 

これを読んだ人が素敵な4年間を過ごせますように。悔いなきよう。

*1:これの応募締め切りが受験面談週間二日目で、私の母は1日目希望してたんだけど予定組んだら4日目にまわされてたのね。でも先生が時間空いたからって電話かけてくれて結局1日目に話し合うことになって。もしあの電話がなかったらと思うとぞっとする。

*2:自宅生ではない、実家と大学が遠い、受験期に崩れた親との関係がある程度修復できていたので尚のことよかったのかも

*3:あと、悩みをうだうだとSNSに流してしまうところとか。これは悪い癖だなあと思うけど、変わってない。