何万分の1の星になる

ジャニーズ話の雑記帳

日陰に陽が当たる

24時間テレビ前に皆さん各々のお気持ちを書いていらっしゃるので、私も、拙く、たいしたことかけないなりに正直に記しておこうかと。

 

nf-arsxhsj.hatenablog.com

この記事を書いてから、もう4ヵ月半が経った。はやいものだな。

24時間テレビのころにはいろいろなことが…自分もJUMPも決まっているのだろうかと思って身震いしたっけな。

 

私が嵐だけを好きだったころ、嵐担さんで、おそらく重篤な病状の子どもが入院する施設にお勤めであろう方がいらっしゃいました。その方は本当に素敵なツイートをされる方で、それらは愛とやさしさに満ちていました。当時高校生だった私は、若さゆえに―今もその気はありますが―「自分は事物を知っている」という傲慢な態度がにじみ出ていたので、24htvに対して嵐ファンでありながらも斜に構えて見ていた覚えがあります。そんな私に彼女がかけてくださった言葉があります。

自分はそういった子どもたちを普段から見ています。彼らは日々戦っていますが、その小さい声や懸命な姿が目に触れることはまずありません。わざわざ見せるものではないという意見もわかりますが…ただ、知られてない病気や境遇についてスポットが当たり、知ってもらえることに意義があると思っています。彼らが絡むことで、知ってもらえる範囲が増えるのなら、なおのことです。(ニュアンス)

それ以来私は(チャリティーを冠したビジネスに疑問を残しつつも)この番組の存在を否定しなくなりました。障がいに限らず、弱者にスポットが当たらない現代社会においては、大きな機会を設けてでも伝える使命が媒体に課されているようにも思うからです。(障がい者の人たちが生きる場所と、芸能人が立つステージとの二重の意味で)現場が一番苦労して、戦って、壁にぶつかって悩んでいるのでしょう。幕開けの直前や幕開けのあとに私たちができることは、その効用が最大になるように追い風を送ること以外にありません。

 

障がい者」は身の回りにいない限り遠く、近くても理解しがたい存在なのではないのでしょうか。私は小学校で特別学級の児童を横目に見ながら、「やさしくしなくちゃ」「私とは違うんだな」と思い、中学校で発達障がいの児童と多く関わるようになり、自分の関わり方について「これは偽善ではないのか」とずっと考えていました。障がい者理解と口で言うのは簡単ですが、実のところは難しい問題です。自身の経験を踏まえて、また教職課程を履修して、余計に感じたことでもありますが。

 

うまくまとまりませんが、この番組は日陰に陽が当たる番組です。それは、障がい者をはじめとした社会的弱者はもちろんのこと、自分たちが応援してきたタレントたちの取り組みのベールがはがされるときでもあるからです。陽の当て方にはテレビ局の意図がありますが、見えてきたものをどう受け取るかは私たちにゆだねられているのです。

 

どうしても、最後は大好きなタレントへの思いに終始してしまうけれど。陽の当たった場所で輝く彼らがもうすぐ現実となって目の前に現れる喜びをかみ締めつつ、今日という明るい夜を待つ。V6兄さん、彼らをよろしくお願いします。 そして、Hey! Say! JUMP、本当に頑張れ。カッコいい姿を待っている。