何万分の1の星になる

ジャニーズ話の雑記帳

だからいま、平和と夢と愛を歌う

その70年のうち、私が知っているのはたった22年なんです。

覚書みたいなところもある。最初真面目で後のほうジャニの話も入る。

ぐちゃぐちゃの文章。でも今日、上げたかった。

 

 

毎年この時期には、終戦を振り返る特番が組まれる。

人それぞれ、感じ方は違うだろう。

具体的に何のせいでとは言わないけれど、特に、今は。

 

 

私たち若い世代は、この出来事に対して実感がない。

特番で流れる記録映像は、実感まではいかずとも、事実を視覚的に認識する一つの手段である。ただ、実感を伴えないのは、東日本大震災が起こるまで、スマトラ津波の被害なんて全く関係のないことだと思っていたことと似ている*1。血や、焼けた街や人のからだ、ねじれた関節の映る粗い映像は、現代の精細な画像ほどリアリティはないが、いいようのない熱と虚無感だけは伝わってくる。

 

小中学校では、戦争は怖いことだ、恐ろしいことだ、二度としてはいけないのだと言われ、9番目の言の葉たちの重要性をとかれた。

高校では、一筋縄ではいかないことを学んだ。このころ私は、「良質ではない」右側によっていた。極度に隣国を嫌っていた。理由なく。ネットによって刷り込まれたものを信じて。嫌わないと自分が正しくない人間とみなされる気がしたからだ。

大学では左右の考えにふれ、先人から学び、歴史から学び、「正確な」認識をすることが以下に大切で困難かを学んだ。理想論と分かってはいながらも、やはりどういう手段で平和構築を目指すかをきちんと考えなければいけないと思い直したものである。

 

私の祖父は両方とも、からだが弱かったり、タイミングが合わなくて、当時の言葉では「悲しいことに」兵役に「つくことができなかった」。それでよかったと今は思っているようだが、当時は心苦しかったという。小学校のときにした戦争インタビューより、大学のレポート執筆でインタビューしたときのほうが、その言葉の貴重さが重くのしかかった。

 

 

本当の民主主義や、本当の平和、本当のゆたかさとは何なのかと考えることがある。

そして、今の日本には、何かを話し合うという土壌が育っていないと思う。国会を見てみればわかるけれど、いい大人が何をやっているんだと頭を抱える。そんなことに税金を払っているんじゃない。私は有権者だ。本格的に納税者になる。投票したあとは政治の動向に身をゆだねる立場になってしまった。なんとやるせないことか。

街中でデモが行われていても、デモを主催する団体が「におう」*2ことがあり、ああまたかと思うのだけれど、かといってその人たちに対して罵声を浴びせるのも筋違いだなと思うわけで、ああ、市民社会の構築が未熟であるのだな、と思う次第である。

 

きっと、話し合いが進まないのは、生きづらいのは、人の話を聞かないからなのだ。小学生みたいな文章だな、と思うのだが、要するに、寛容さが足りないと思うのだ。これは個人の問題ではなく、社会の問題である。

「平和」も「豊かさ」も人によって考え方が違いすぎる。「何をもってそれとするか」…おそらく、今言い争っている数々の問題は、本当はそこから構築しなきゃいけないようなことなのに

 

時間がないと、暇がないという言い訳と、そして数々の思惑とが相まって、反対や不安が多い中であるにもかかわらず、話だけがとんとんと進んでいく

 

民主主義は、手のひらの中にある政治を眺められるしくみ*3だと思っていた。いつのまにか空の上の箱庭で会議をするようになったらしい。

 

ビジネスも政治もそうですが、正解だったかなんて後にならないと分からないんですよね。「安保法案をあのまますすめていれば」「安保法案を廃案にしておけば」たぶん日本の未来には、どちらかの言葉が確実に存在するんですよ。悲しいことに。しかしこれが現実なのである。

 

平和ボケといわれるかもしれません。私の意見が理想論だという自覚はあります。ただ私は、現在議論されている数々の事象について、右・左両方の意見それぞれに賛成しかねる部分がありますから、自分自身が左右の前に「極」をつけられる輩ではないと思っています。そしてそもそも、この左右のグループ分けでは、言い争いを捉えきれない時代になってきているのかなと思います。

 

70年という時間は大変長いと感じました。人が一人生まれ、死ぬまでの時間を、あまたの記憶は生命とともに生き抜いてきましたが、記憶たちのいのちもそう長くはありません。消えそうな火を「正しく」「ゆがめることなく」どうつないでいくかは、私たちに掛かっているのだろうと思います。だからこそ、くもりなき眼で、左右どちらかに有利になるような邪念を捨てて、話を聞ける人が増えなくてはならないのでしょう。

 

 

(ここからはジャニーズのはなし)

(エントリーわけるのもなあと思った)

櫻井翔さんが作詞されたリリックに以下のようなものがあります。

あのビル落ちた日 考えました
やられる側の 理由とはなんなのか
神とは結局 このことなのか
正義のもつ意味 何故これなのか
戦場に住む この少女
父は戦いへと 朝また
今日も思う 行かないで 思う 行かないで
朝日を共に見れることを 期待して
また東京裁判的な 勝者と論理
受け入れられない 弱者の抗議
脅威を使って  ヤツ笑う
今日もまた弾の分だけ 札が舞う
右とか左とかではなく
ただ僕知りたい 聞きたい事はひとつ

 

一応これ、ヲタブログなので、少し彼らの話を絡めるのですが…

(本当は国政にアイドルを噛ませるのはゆるせない*4けれど。ごめんなさい。)

ジャニーズの楽曲には本当に「平和」「夢」「愛」を歌うものが多いと感じます。舞台でもそのような趣旨が組み込まれていることが多いでしょう。ジャニーさんは戦争の中で揉まれて育った過去がありますから、これらのキーワードに対する思いは、戦争経験のない他の社員にくらべ格が違うでしょうし、タレントたち本人も、ある程度自分たちが社長からどのような意を背負わされているかは自覚している気がします。

 

だからこそ私は、彼らがそういった言葉を歌に乗せて届け続けられる世の中を望んでいます。アホらしいかも知れませんが、現状維持は後退だという言葉もありますが、それでも影響力のある彼らがこういった活動ができる間はまだ、首の皮一枚繋がっている気がするのです。

 

愛のあふれる平和な世界は夢に過ぎないかもしれません。

とはいえ、夢を見る力や愛情は平和な世界を作る鍵になるでしょう。

そして、平和になれ、という夢を叶えるのは愛だと信じたいです。

 

だからいま、彼らはそれらを歌うのでしょう。

 

私のしらない70年前に思いをはせながら、もっと社会がやさしくなることを願って。

 

*1:とはいえ、私は被災者ではないので結局画面の中の映像を見つめるしかなかったのだが

*2:利権が透けて見える団体とか

*3:日本は直接民主制ではないけど。民主主義は機能してると思っていたし、機能してる方ではあるのだろうけど。

*4:某グループAのSさんと、彼のお父様との関係を言及した議員がいまだ許せない自分がいる