何万分の1の星になる

ジャニーズ話の雑記帳

水曜日のユートピア

今週のお題 「好きな服」

 
 
昔から、わたしはおしゃれが嫌いだった。
 
私の名前は細田凛子。なんて名字の家に生まれてしまったんだろうといつも思う。なんて名前をつけてくれたんだと、親にもあたりたくなる日々。別に名前の響きは好きだから、いいんだけどさ。せめて倫理の倫がよかったな、なんて贅沢をここでこぼしてみる。
 
実際の私は細くもなければ凛としてもいなくて、名前は理想にすぎないんだってことは小学校の時から痛感してきた。ぽっちゃりめで、どんくさい。こんな私だから経験してきたのは、薄暗い、濁った…灰色の学生時代である。暗黒ではないだけまだマシなのだろうか。でも、安穏とも言いきれず、これといったときめきもなかった。こんな私にも幸い友人はいたが、彼女たちは彼氏がいて、ピンクとかオレンジみたいな、ぱちぱちとしたキャンディーみたいな青春をおくっていて、顔には出さないけど心底羨ましかったのは事実。
 
でも、こんな私にも変化は訪れるのだ。
 
進学した大学がある都市は学生の街と言われていて、品のいい喫茶店がたくさんあった。もともと人混みが得意ではなかった私は、チェーン店ではなく、個人がやっている喫茶店を探して、お気に入りの一軒を見つけるために外を歩き回っていた。
 
そして出会ってしまったのだ。運命の一軒に。
基本的に話すことを禁じられたその店――名前を「栄宇宙事(えそらごと)」という――は、席の一つ一つが独立していて、趣味の読書をするにはもってこいだった。というか読書が趣味の人しか来なくなっていた。なによりカップルのけたたましい会話や、俗物感あふれる女子トークを聞く可能性がないことにこの上ない安心感を抱いた。ここが私の求めていた桃源郷。私が私らしく私の時間を過ごせる場所。
 
そして、授業のない水曜日に、私はそこで読書をするのが習慣となっていた。ドアを開けてカウンターの前をまっすぐ進むと、がらんと広がった部屋につく。真正面にある窓のカウンター席の中の、一番左。ここが私の指定席。
 
日差しがきつかった今日は、柄にもなく白のフリルカットソーを着てみる気分になり(自分ではこんなの買わない、母に買い与えられたのだ)、クロップド丈のジーパンをはいていた。二の腕をごまかし、足を隠すのはぽっちゃりの美徳なのだ。
いつもの席につき、ソイラテを注文する。冷房の効いた店内だから、私は夏でもホットを頼む。しばらくして運ばれてきたそのラテを飲むにつれて、今日も平穏に過ぎていく。はずだったのに。
 
「…うわあっ!」
店には似合わない声を聞くと同時に右肩に冷たいものを感じた。見れば、カットソーは薄茶色に染まっていた。
 
ああ、やっぱり、着るんじゃなかった。
私ごときが背伸びしたって、悪いことが重なるだけなのだから。
 
「ご、ごめんなさい、ラテ、こぼしちゃって、服汚しちゃって、あの、その……」
「あ、あの、とりあえず、大丈夫ですから、落ち着いてください……他のお客さんにも迷惑ですし」
そういうと彼ははっとしたように、顔を赤らめながらトーンを落としてくれた。どうやら悪い人ではなさそうだ。
「すみません、クリーニングしなきゃ……あ、でもここで脱がせるわけには、いや、別にぬがせたいとかじゃ」
「……?何モゴモゴいってるんですか」
「ど、どうお詫びしたらいいかと思って」
「ああ、気にすることでもないです」
「でも申し訳ないですよ……あ、そうだ、男物のカーディガンでよければ。これで今日は肩、隠して帰ってください。体も冷やさない方がいいし」
「えっ、でも返せないし」
「来週」
「……?」
「来週の水曜日です。僕も、毎週来てるんで。君の席からは離れた、右端のカウンター席に座ってるから、わからないよね……」
眼鏡でほそっこい長身の彼は、ははは、と笑いながらも眼鏡をずりあげた。彼は、私を認識していたらしい。
「なんで私のこと……」
「きれいだったから」
「えっ」
「本読んでるときの横顔、きれいだったから」
 
彼の頭の一部に私が存在するようになった理由を、なんで私は聞いてしまったんだろう。きれいなんて言葉、今まで言われたことがなかった。この発言に他意はあるのか?こんなことって、こんなことって…
 
落ち着かない。
 
彼のカーディガンを羽織る。コーヒーの香りがする。すこしほっとするにおいのはずなのに、なんでドキドキしているんだろう。きっと、いや絶対、突然のことに動転してるだけだ。きっとそうだ。
 
「じゃ、じゃあ、来週また」
 
読書できる状態でもなくなった私は残ったソイラテを飲み干した。あわててお会計をすませて外に出る。うだるような暑さが体をおおうのに、カーディガンを脱ぐ気にはなれなかった。そういうのとは違う火照りが顔を覆っていて、さっきの彼の発言が頭のなかをぐるぐるしていた。
 
「もっと、知りたい」
 
そういえば彼の名前も聞いていない。彼も平日に来ている若者ということは、大学生なんだろうか。この辺に住んでるのかな。だとしたら同じ大学の人なのかもしれない。というか、彼は私を「きれい」といっただけで、べつにそういうのじゃないかもしれないし…なにより彼女がすでにいるかもしれない。落ち着け私。てかなんで彼女の有無を気にしているんだ。ほ、ほらサークルは?好きな本や作家は?好きな服は?
 
 
……昔から、わたしはおしゃれが嫌いだった。
 
でも、もしかしたら、これからはそれに一生懸命になるのかもしれない。
 
今週の土日は新しい服を買いにいこう。私の好きな服と、彼が好きそうな服を買おう。またああやって笑ってほしい。
 
さっきまでひとかけらも記憶になかった人間のことで頭がいっぱいになる。
 
もしかしたらあのカフェだけじゃ、飽きたらなくなるかもしれない。
彼と向かい合って本の話をする未来を思いながら、初夏の夕暮れの中を私は駆けていった。